宮古馬のこれから -与那国馬の復活を模範に-
この度伺った宮古島・与那国島について、それぞれの固有種の馬達と
島の人々と馬との関わりについて記事にまとめてみました。
※今回の記事は長文かつ、ご覧いただく方に、心苦しく思われる内容に触れることになるかと存じます。 あらかじめご了承の程お願い致します。
①まずは宮古馬と与那国馬の違いについて
・宮古馬…
体高:110~120cm
体色:鹿毛のみ (与那国馬よりも明るい鹿毛が多いですっ)
特徴:人懐っこく大人しい子が多く、粗食や農耕労働をこなします!
・与那国馬…
体高:110~120cm
体色:鹿毛のみ (どちらかと言うと黒っぽい個体が多い)
特徴:性格は大人しく、こちらも古くから農耕馬として活躍してきました!
どちらの馬も さんご石灰岩のごつごつした道を 自由に歩ける蹄の硬さ・体の丈夫さと
長年 島民の人々と共に力を合わせて生きてきたことによる、人懐っこさを備えております💕
②馬と島民との関わりについて
先程の項目でも記載した通り、宮古馬・与那国馬ともに、
馬達は 主に農業におけるパートナーとして 🐴長く島民の方々に親しまれてきました。
しかし、2018年12月に報道された 宮古馬の記事がひとつの騒動となりました。
日刊SPA! によって取り上げられた「宮古馬の虐待・それに伴う衰弱死」という記事です。
宮古馬が ずさんな飼育によって、餌を与えられず 糞尿も掃除されない不衛生な環境で、
衰弱し死んでいっているという悲しいニュースです。
私自身 このニュースを聞いて、これが事実であれば とても悲しいことであるし、
事実を確認して 何とか馬達を救う方法を探したいと思い、宮古島へ訪れました。
そして宮古馬達を多数飼育している「荷川取(にかどり)牧場」様に伺い、
宮古馬達の置かれている実情を教えていただくことができました。
(そのときの宮古馬のご様子についてはこちらのブログをご覧ください)
まず、宮古馬が衰弱死してしまったことは 残念ながら本当のことです。
(荷川取牧場様は馬達を出来るだけ放牧飼育し 適切に管理していらっしゃいます。
ニュースになった現場は 別の方が運営する牧場で、2019年時点で既に牧場を閉鎖しています)
しかし、馬達をこのように扱ってしまっていたことは、意図的な虐待では決してなく
農業スタイルの変化・島としての文化・馬達をとりまく厳しい財政状況が、
複雑に入り混じったことが原因でした。以下にその主な3つの要因を記載します。
1.第一に農業の方法が大きく変わったこと
…これは今まで宮古馬達が農耕馬として人と協力しておこなってきた農業が、戦後 トラクターや耕運機による機械化が進み、馬達の仕事がなくなってしまうことが発端でした。
2.これに加えて馬達に対する習慣
…島民の方にとって、宮古馬は農耕の道具です。農業に使用しない間は、馬達を馬繋場につないでおく習慣が一般的でした。(これは耕運機を使わないとき 倉庫に保管しておく感覚と同じですね) 機械化により馬を使用する機会が激減した結果、馬は繋いだまま放置される時間が長くなってしまいました。
3.馬達を取り巻く財政環境
…宮古市は 馬の飼育を委託する飼育者に、1頭あたり月6,000円の補助金がおりています。(2019年11月時点) しかし馬を養うための餌代としてはとても足らず、荷川取牧場様では個人の貯金を崩し 不足分を補って、なんとか馬達のお世話をしています。馬を農業に活用しなくなった上、この厳しい資金難で 宮古馬を飼育していた方々にとって、適切な飼育をより難しくしてしまっているのが現状です。
つまり、農耕としての宮古馬の活用方法が失われた結果、
これまでの人間と馬達との共生関係がバランスを崩し、
それを補うべき飼育の支援金が不足しているために、 宮古馬達が厳しい逆風にさらされているのです。
(補助金の増額は急務の課題ですが、財源に乏しい宮古島では馬達に予算を割くことも難しく、極端に言えば 馬への支援より、島に住む方々の生活に資金を使うべきだ、とする声があることも事実なのです)
そういった時代の変化や、経済的事情で やむにやまれず
劣悪な環境下で飼育してしまった 宮古馬の姿を、島の外(日本本土)の方が発見し、
このような騒動に発展してしまったのです。
※重ねてではありますが、2019年11月現在 こういった飼育環境の整わない牧場は閉鎖され、大多数の馬は荷川取牧場様の保護のもとで、約45頭あまりの宮古馬達は適切に飼育されています。
大変辛い現実を目の当たりにし、苦しい気持ちになりつつも、
私は続いて与那国島へ渡り、🐴与那国馬の取材にも着手致しました。
これに関しては 与那国馬達も同様の問題に直面していました。
農業の機械化が進み、与那国馬の飼育者への補助金は現在打ち切りとなっています。
しかし、与那国島では 馬達を別のカタチで活用する取り組みがおこなわれていました。
こちらは私が与那国島を訪れた際の空港や売店での様子です。
なんと島を挙げて、馬を大切な文化財として発信していたのです。
実際に、私も与那国馬に乗って乗馬を楽しむことが出来ました。
(その際にブログはこちらです→風馬<ふうま>与那国馬倶楽部様,与那国馬風(う)牧場様)
同じように農耕用として馬を使役してきた 2つの島。
馬に対する価値観の違いはどのようにして生まれたのでしょうか。次の章で詳しく紹介いたします。
③馬への取り組みについて
与那国島においても、農業が機械化されたことによる馬の需要は 年々減少し、
1975年の調査記録ではなんと59頭程に数が激減しておりました。(これは今の宮古馬の頭数に迫る少なさです)
現在、与那国馬は約130頭程に回復しています。
一体どのような解決方法で馬達を救うことが出来たのか、風馬与那国馬倶楽部様よりお話を伺いました。
与那国馬を救ったのは、ある一人の青年の行動がきっかけでした。
その青年の名は久野マサテルさん(通称:まーくん)。
与那国馬が絶滅の危機に瀕していることを、偶然 新聞記事で見かけ、
何とかしたいと思い立ち、神奈川県から与那国島へ 移住を決めました。(当時1982年)
すぐにでも馬が欲しかったまーくんですが、その頃は外から来た人をよく思わない考えや
外から来た人に馬は売らない風潮で、3年間は馬と過ごすことができない日々を送りました。
そして3年後、やっと一頭の雄馬を手に入れることができました。
地面を威勢よく、太鼓を叩くように歩くー
そんな思いを込めて「歩鼓地 -ぽこち-」と名付けました。
それから7年間、ぽこちと毎日、毎日、蹴られても 振り落とされても 向き合い続け、
最終的には跨がって野山を駆け、海で一緒に泳ぐことができるほどになりました。
それまで、農耕以外で使うことがなかった馬に乗る まーくんの姿を
最初は白い目で見ていた島民の人々でしたが、
次第に「私も乗ってみたい!」と思う人が現れ 馬と遊ぶ人が増えていったのです!
やがてボランティアで馬達のお世話をする方(島民だけでなく観光客の人々)の協力をえて、
1995年 春、ついに馬好きの若者が集う「与那国馬ふれあい広場」が完成したのです❣
この「与那国馬ふれあい広場」にて 馬に乗ってともに遊ぶことで、
与那国馬のことを知り 馬達を守りたいと思う人々の輪が広がっていきました。
その結果 与那国島の方々は 新たな与那国馬の活用方法を発見し、
馬達を絶滅の危機から救い、改めて馬との絆を育むことができたのです。
その後「与那国馬ふれあい広場」のボランティアやスタッフが独立し、
今や与那国馬は 海を越え、沖縄本島・石垣島・久米島でも、
それぞれ「うみかぜホースファーム」「石垣島馬広場」「久米島馬牧場牧場」様にて乗馬や、触れ合いなど 広く活躍するようになりました✨
(現在 マサヒロさんは「与那国馬ふれあい広場」改め「一般社団法人ヨナグニウマ保護活用協会」の会長様として、今も与那国馬の活用にご尽力されています)
こちらのお話については以下の「創始者(久野マサテル・通称まーくん)からのメッセージ」より一部抜粋致しました。
▼詳細は是非本文をご覧ください💕
この大変美しい馬と人との物語は、
久野マサヒロ様が 古い習慣や周囲の批判を受けつつも、諦めず与那国馬と向き合い、
馬と遊ぶ楽しさを伝える=馬の新しい活用方法を普及できたことが 大変大きな功績であると感じました。
実際に、風馬与那国馬倶楽部様にて外乗体験をさせていただいた際、
島内の町を馬に乗って歩いていると、島民の方々に出会う度、皆さまに笑顔でご挨拶いただきました!
このとき 与那国島の人の生活の中に、馬達との結びつきが しっかりと浸透していることを実感しました💕
④宮古馬のこれからについて
与那国島で馬と人が友好を結び直せたように、宮古島でも馬と人の 新しい関係を構築できるはずです!
ついては宮古馬達を守り、育てていく方法として、以下のことが必須だと考えます。
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・宮古馬の知名度を広げること。 (実は島民でも多くの方が、宮古馬の存在を知りません)
・宮古馬に楽しく乗馬している姿を皆に見てもらって、
島民の方々や観光客の方々に、宮古馬に乗って遊べることことを知ってもらうこと。
・乗馬や触れ合いができる施設を作り、
宮古馬を観光資源としてしっかり保護できる場所を設けること。
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どれも簡単なことではありませんが、宮古馬の乗馬施設ができて、
島にとって大切な観光資源であるとの認知が広がれば、
行政も馬の保護や補助金の予算を提案しやすくなりますね✨
ただ、最も多くの頭数を管理されている荷川取牧場様でも、
2019年11月現在、宮古馬に乗馬をすることはできません。
その理由として、荷川取牧場様の管理に尽力されてきた荷川取様が 過労の為倒れてしまい、
馬達を調教出来ない期間が出来てしまったため、一般の方を乗せられなくなってしまったのです…。
調教が整わない馬では、乗馬に用いることは難しく、
荷川取様の体調は幸い回復方向に向かわれていますが、荷川取様はご高齢の為、
今後 持続的に乗馬用の宮古馬を調教し続けることは厳しい現状でした。
持田様は"ナチュラルホースマンシップ”という 馬の立場にあわせた
自然な手法で馬と携わるトレーニング法を用いて、調教をおこないます。
1頭の宮古馬と丸馬場へ入って、旗を振って 人間の指示する方向へ走らせる練習や、
引き馬にて 手綱の持つ感覚で 馬を発信・停止させる馴致をおこないます。
トレーニングに慣れない馬達は、調教を嫌がったり 持田様から走って逃げようとします。
しかしそこは調教の見せ所! ダメなときはしっかり追い立て、良いときはプレッシャーを緩めます。
そうすることで、少しずつ馬達も 人間が求めている指示を聴いてくれていきます💕
こういった調教を 約1時間しっかりおこない、終わったあとはしっかり褒めて解放してあげます。
↓ 調教の様子は こちらのFacebook"ミャークヌーマ宮古馬の会"様でも紹介されています!
持田様は 宮古馬を救うため、2019年7月からこうした活動を 数回おこなわれています。
始めは無口(引き馬や馬を繋いでおくときに使う道具)を付けることさえ、逃げて出来なかった宮古馬。
それが 今回のグランドワークと地道で根気強い練習の結果、持田さんは勿論、
荷川取牧場様のスタッフさんに人が代わっても 馬がきちんと対応してくれるようになりました!
宮古馬のために、真剣に つきっきりで向き合ってくださる持田様には、本当に尊敬の念に堪えません✨
まさしく持田様、並びに荷川取牧場様の方々みんなが、宮古馬にとっての"まーくん"に思えた瞬間でした。
そして持田様は宮古馬との調教を通じて、このような感想を述べられております。
「全国の馬を調教しているが、ここまでタフでがんこな馬はそうはいない」😅
精神的にたくましい在来馬の中でも、宮古馬は相当なポテンシャルを秘めているみたいです…!
それでも 馬達にひねくれた子はおらず、皆素直に付き合い 学んでくれていて、
頑張って人に応えようとする馬たちの姿にも、目頭の熱くなる思いです✨
最後に、人と馬が信頼関係が築き、乗馬を通じて宮古馬の素晴らしさを
宮古島の島民の方々へ、そしてもっと多くの人々に感じてもらえる日が来ると信じています。
そして 宮古馬と一緒に生きていきたいーと、思って頂ける人々が増えていけば
おのずと宮古馬を絶滅から救い、馬達と共存できる道が開かれると確信しています。
<PS>
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
与那国島と宮古島を訪れ、それぞれの固有馬達の置かれている状況の格差に疑問を感じ、
それぞれの馬達の歴史・島民の人々の 馬に対する価値観などを、出来る限り調査致しました。
その結果 一生をかけて与那国馬に全力を注いだ方のご尽力が、今の宮古馬達を支えていることを知り、
宮古馬の危機的な状況を救うため、自分にも何かできることをしたいと、筆を執った次第です。
少しでも多くの方に宮古馬の現状を知っていただき、手を差し伸べて頂ければ 幸いに存じます。
追記:少しずつではありますが、宮古馬達を取り巻く環境は良い方向へ向かっております。
▼以下に宮古馬の近況報告を記載します!(順次更新していきます!)
★Facebook・TwitterなどのSNSで、次第に 宮古馬の愛らしさが広がっています。
★「宮古馬の保存計画を策定する委員会」様では宮古馬を100頭まで増やす目標を掲げ、交配や育成のための施設・牧場の確保や、馬達の医療体制の構築を目指しています。また 観光コンテンツとしての 持続可能な利活用促進を模索されています。
★2020年1月12日 ミャークヌーマ宮古馬の会様のページより、馬車を引く宮古馬の動画が投稿されました✨ ここまで馴致できるようになるのは、本当にたくさんの方が努力された賜物です!大変嬉しく思うと共に、今後の馬達の成長で 期待に胸が膨らみます❣
今後 宮古馬と人が素敵な関係を築き、お互いに良きパートナーとなれるよう、心より応援していきます!m(_ _)m
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